1972年、雨の降るアラバマ州の道路で、21歳のミッチェル・メイと友人たちの乗っていたバンが、高速で前から猛スピードで走ってきた車に激突されました。その衝突の状況はすさまじく、彼を車の残骸から救出するのに45分も掛かったほどでした。彼は全身に、多くの致命的な傷を負い、最も重傷だったのは両足でした。40ヶ所を超える骨折と、きわめて深刻な神経と筋肉の断絶と損傷を負っていたのです。ミッチェルの治療を担当した医師団は、口をそろえて言いました。「彼は二度と自分の足で歩くことは出来ないだろう。切断するか、命をあきらめるか、選択は2つだ」。
この事故でミッチェルは、自分の足の切断を迫られましたが、それを拒否。その後、ある人物と出会い、1年もの治療の末、奇跡的な回復を遂げました。
そしてミッチェルは、生命力を最大限に強化し、体内組織の再生を促進することが出来るような今日で言う「食物」の神秘について学びます。ミッチェルは、入院先であるUCLAの研究員たちと力をあわせて、「栄養補助食品」に関して世界を視野に入れ、きわめて広範囲な調査を行いました。そして彼は、10年以上にわたり、世界中から、驚くほどの治療と栄養補助の特質を兼ね備えた、様々な野菜・海藻・果物・穀物そして世界の伝統医療で用いられる薬草などを手に入れ、テストを重ねて、徹底的に研究しました。
彼が常に求めていたのは、特殊な一つの食物や薬草ではありませんでした。自分が作るものは、単にからだに作用するものではあってはならない。からだ・こころ・いのちまで響くものではなくてはならない、それがミッチェルの出発点でした。それには数十種の「フード」が組み合わせられることで、その全体の効力レベルが飛躍的に向上するSynergy(相乗)の発見がどうしても必要でした。
12年の調査・研究の結果、ミッチェルは、彼が求め続けてきた究極のフォーミュラ、現在の「 ピュアシナジー 」に限りなく近い処方を完成させました。彼は、彼の友人やさまざまな専門家仲間に、それを配ります。彼らの反応は例外なく熱狂的で、エネルギー、明晰さ、活力(バイタリティー)、健康感などが増大したという、数え切れないほどの素晴らしい反応が集まりました。彼は一定期間、当時の ピュアシナジー を配り続けたあと、カリフォルニアをあとにして、旅にでます。ミッチェルは、今も彼が住んでいるユタ州キャッスルバレイに放浪ののちたどり着きます。彼がそこで暮らし始めると、「グリーン(当時の ピュアシナジー )」をもとめて、今度は人々が彼を追いかけてくるようになりました。「グリーンをわけてくれないか!」ということがあとを絶ちません。
ミッチェルは、無数にやってくる要望に応えるため、1992年Synergyカンパニーを設立しました。Synergyカンパニーは、当時のミッチェルの住まいのキッチンにあったテーブルでのたった二人の人物のミーティングからスタートしたのでした。
これが ピュアシナジー 誕生の物語です。事故をきっかけに食物の重要性に気付き、カラダの基礎をつくる食品を求めた結果誕生したのが、この ピュアシナジー なのです。 |